船乗りが、命と同じくらい大切にした“相棒”
「船箪笥」とは、江戸中期から明治末期にかけて日本海を往来した「北前船」に積まれ、必需品と呼ばれるほど、多くの船乗り達が買い求めた、精巧で緻密な箪笥のことです。
「北前船」の発展は、大阪と北海道(当時は蝦夷地)を結ぶ西廻り航路が河村瑞賢によって確立されたことに端を発します。あらゆる物資が「北前船」によって日本各地に運ばれるようになりますが、情報の伝達にはまだまだ時間差がありました。その時間差を利用して売買を行い、莫大な利益をあげたのです。
「北前船」登場初期の頃は、越前の河野浦をはじめとした多くの北陸の廻船が近江商人の「荷所船」として活躍していました。しかし、江戸の後期にもなると自分たちで物を売買する「買積み商い」を開始し、「買積船」として発展していきます。明治期に五大船主として名を馳せた、越前(福井)右近権左衛門などは耳にしたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
隆盛を誇った「北前船」ですが、海難事故の多発により、明治 18 年に「和船禁止令」が出されたことで衰退の一途を辿り始めます。次々に陸路が開発され、いつしか船箪笥もその用を終える運命を迎えました。
しかしながら、世界に類を見ない日本独自の形態を持ち、職人達の知恵と技を結集した船箪笥は非常に丈夫で、何よりも水に強い性質を持つため、数多くの箪笥が現存し、今でも資料館などに保管されています。当時のままの美しい姿を保った船箪笥は、歴史や職人技を現代に伝える「生き証人」といえるでしょう。
「船は沈むが箪笥は浮く」船箪笥に課せられる“条件”
それは二つ挙げられます。まず第一は、海に浮く程の気密性があること。船箪笥に収納されたのは、命と同じくらい大切な船の往来手形・書付書・仕切書・印鑑・お金などの重要品だったため、万が一海難事故などに遭った場合は船と共に沈まぬよう、真っ先に海に投げ入れられました。中の物を失うことなく漂流する、高い気密性が必須だったのです。
第二に、複雑な構造になっており、誰でもが容易に開けることはできないよう錠前で守られていること。先述したように、海難事故に遭った場合、船箪笥は広い海洋を単身で航海することになります。それが誰かに拾われた時、中の重要品が悪用されることを防ぐ必要があったのです。
これらの条件は、船箪笥の用として、必要かつ最低の条件であったと考えられています。